2017年6月定例市議会 野々村博美議員
小林義和市議会議員への追悼の言葉
◆野々村博美議員
◆26番(野々村博美議員) 追悼の言葉。26番、日本共産党長野市会議員団、野々村博美。
日本共産党長野市会議員団の幹事長であった小林義和市議会議員は、去る3月31日午前8時47分に、すい臓がんによって逝去されました。病気が発覚してから約1年5か月、67歳の生涯を終えられました。まだまだ生きてやりたいことがたくさんあったはずなのに、本当に無念であったと思います。
御承知のとおり、3月2日には多くの支援者が見守る中で、こん身の力を振り絞り、今まで改善を求め続けてきた保育士の待遇改善、子供の貧困対策などを取り上げ、また、自らの経験を通して、市民病院の緩和ケア、終末期医療の充実を求めました。
議会として、自席での着座の質問を認めていただき、議会事務局の緊急対応への配慮など、皆様に支えていただいたことに本人に代わりまして心より感謝を申し上げます。
この質問は、義和議員には大きな負担があったと思われますが、これは本人の強い意志によって行われたものでした。3月市議会で質問をさせてほしい、命を縮めてでも、はってでも質問に立ちたい、そういうメールが2月中旬に送られてきました。私たちは彼の希望に応えたいと思いました。様々な場面を想定して、小林義直議長、松本議会事務局長に率直に御相談し、全てを受け入れていただく中で、最後の質問を実現することができました。万が一、質問に穴が空いてしまったときには、次の質問者の皆さんに多大な御迷惑をお掛けすることになります。それをのみ込んで義和議員の質問に御協力をいただいた皆さんに心から改めて感謝を申し上げるものです。
小林義和議員は、大学で地方行政を学び長野市役所に就職されました。資産税課、障害福祉課、支所などの部署に勤務後、日本共産党からの要請を受けて1999年の市議会議員選挙に立候補し、5期18年間奮闘されてきました。深い見識を持ち、知識も豊富で、分からないことは義和議員に聞けば大体のことは答えてもらえました。当市議団の幹事長として理論的な、私たちの支柱でありました。
同時に、大変楽しいユーモアのある人柄で、忙しい合間を縫って旅行も楽しみ、楽しくお酒も飲み、カラオケでは中国語で歌も歌い、多くの方々に慕われていました。誰もが認める中国通で、このお父さんの影響か、御長男も現在、赤旗北京特派員として活躍をされておられます。文化芸術に造詣が深く、特に、井上ひさし、宮沢賢治をこよなく愛する方でした。心根のとても優しい方でもありました。
家庭人としての義和議員は、今は亡き御両親をとても大切にされ、忙しい保育士として働く奥様を気遣い、お子様たちの成長にも細やかな愛情を注ぐ、良き夫、良き父親でもありました。
そして、何より平和憲法を守り、民主的な政治の実現のために、労を惜しまず働く日本共産党の市議会議員であり、最後の最後までその生き方を私たちに示してくれました。
私たちは大きな存在を失いましたが、故人の意志を継ぎ、今後も全力を尽くしていく決意を申し上げ、また、一家の柱を亡くされた御遺族の皆様には一層家族のきずなを深め、悲しみを乗り越えて歩んでいただくことを心から願い、追悼の言葉といたします。