2013年12月定例市議会 あべ孝二議員
請願第十六号、第十七号特定秘密保護法に反対する請願を不採択すべきものとした委員長報告に反対し、第十七号の請願について討論
◆阿部孝二
請願第十六号、第十七号特定秘密保護法に反対する請願を不採択すべきものとした委員長報告に反対し、第十七号の請願について討論を行います。
請願者、長野市平和委員会、会長宮澤彰一さんは、総務委員会で参考人として請願趣旨、請願項目を述べて賛成するよう委員会で発言しました。
特定秘密保護法は我が国の安全保障に関する防衛、外交、特定有害活動の防止、テロ活動の防止について、特定秘密事項を指定するとしています。何を秘密に指定するかは国民には知らされず、広範な情報を秘密にすることができます。原発やTPP交渉に関する情報も対象となる可能性があります。マスコミの取材や国民が情報公開を求めるなど、情報に接近しようとする行為も処罰--最高懲役十年とされるおそれがあり、マスコミを萎縮させ、国民の知る権利は侵害されます。秘密の取扱者を対象にするという適性評価は、思想、信条の自由やプライバシー権を侵すものです。国会の国政調査権を制限し、国会議員や職員も処罰の対象であります。
日本国憲法の基本原理を根底からないがしろにし、主権者、国民が政府を監視するという立憲主義を覆し、国民の目、耳、口を塞ぐ、基本的人権、民主主義を破壊する重大な弾圧法になる危険性を持つものだと言わなければなりません。
こういう指摘をされ、特定秘密の保護に関する法律の撤廃を求め、意見書を国に提出してほしいという、こういう請願でありました。自由民主党と公明党の数の暴挙によって、十二月六日夜中、参議院本会議で強行採決されました。多くの国民、市民にこれに対する怒りが広がっているということを言っておきたいと思います。
安倍晋三内閣は、第一次、第二次内閣の中で、日本を取り戻すということを言いながら、日本国憲法第九条を変え、自衛隊を国防軍に変える。そして、国民の多数によって第九条が変えられないとすれば、憲法第九十六条の改正の要件の緩和を狙って、国会議員の総数の三分の二から二分の一に変えようということを行ってまいりました。しかし、憲法改定論者からも、憲法が憲法ではなくなり、ただの条例にすぎなくなる、こういう広範な市民や国民の声の中で、これも断念せざるを得なかった。
しかし、NHKの経営委員に自らの主張を認める四名の委員を参加させ、そして長い間、自由民主党の内閣の中でも集団的自衛権を第九条第二項に基づいて認めないという、こういう考え方の内閣法制局長を代えて、集団的自衛権を認めるという、こういう判断の局長に代えました。そして、今度は特定秘密保護法案を強行採決し、アメリカの戦争に日本の自衛隊が参加し、国防軍として集団的自衛権を行使する、こういう方向を強行したのが中身であります。
そして、武器輸出三原則も緩和するというように戦争への道の方向に強まってきたのが現状ではないでしょうか。国民は、このことに対して国会や日比谷野外音楽堂、全国各地、長野でも駅前や、そしてキンカン行動での反対集会などで、多くの市民がこの問題について危惧と反対を、そして撤廃を求める動きに出てまいりました。それだけではありません。憲法学者やテレビキャスターの八名が記者会見で反対を訴え、俳優の仲代達矢さんも、日本共産党のしんぶん赤旗の日曜版の一面に登場していただき、反対を行いました。
また、女性団体や労働組合の多くの団体、市民団体、そして国際連合の関係機関からも危惧の発表があり、意見が出され、出版人やマスコミも多く反対する、こういう反対がされました。
ここで、歴史に学ぶことが大事だということを、また述べたいと思います。六十八年前に終戦を迎えました。アジア太平洋戦争のときに多くの市民、国民が三百十万人、アジアの人々二千万人が犠牲になりましたが、しかし平和を取り戻し、憲法第九条や平和的な憲法を制定し、私たちは守ってまいりました。そのときの戦争に入る前に、日本共産党の先輩である小林多喜二など、多くの先輩が戦争に反対、侵略戦争反対、国民が主人公、男女平等など、こういうことを言っただけで投獄され、逮捕され、虐殺される。
ただ、日本共産党だけではありませんでした。仏教界の皆さんや創価学会の初代会長もこのことで捕まり、そして亡くなりました。日本を思う、平和を思う多くの人たちのこういう犠牲の上で、アジア太平洋戦争が終結し、今の憲法が制定され、私たちが守ってきたのではないでしょうか。
ベトナム戦争では、アメリカの情報の操作によって戦略、戦争が始まりました。このことも、アメリカのニューヨークタイムズが明らかにしたところであります。ジョンソン政権によるねつ造ということが明らかになりました。そして、イラク戦争は十年を過ぎましたが、アメリカはフセイン大統領が大量破壊兵器を持っている証拠がある、こういうことを言って国際連合でも、同盟国に賛同をさせ、戦争になりました。しかし、アメリカ自身の国家安全保障局--NSAのところでも調査し、情報機関でも調査しましたけれども、大量破壊兵器がなかったことが明らかになりました。
アメリカの国内でも情報をねつ造としたということを日本共産党の国会議員が国会で明らかにさせてまいりました。そしてまた、アメリカ国家安全保障局は、ドイツのメルケル首相に対し、携帯電話の傍受を長期にわたって行ってきた。こういうことも行いました。そして、このように戦争へ向かう中で情報操作もされてきたというのが現状ではないでしょうか。
私たち日本共産党長野市会議員団は市民の皆さんと力を合わせながら、東日本大震災を復興の援助や実態調査に三・一一の後、五月に行ってまいりました。南相馬市に行ったときに、議員の皆さんからこういう話を聞きました。メルトダウン、建屋が崩壊したときに、アメリカ軍は海上八十キロメートルのところに避難をしました。そして、南相馬市の市役所の庁舎にいた自衛隊の皆さんはいつしかいなくなった。中には、たばこの吸い殻をそのままにして行ったという話であります。市民や職員は、全く、この建屋が崩壊したときの状況について、情報が全く知らされていなかったと、こういう状況であります。これが今の現実であります。
特定秘密保護法案が、そういう秘密ということにされたならば、そういうものについての追及もできなくなる。私は、中学を卒業して、自衛隊の納品企業である三菱電機鎌倉製作所に勤めたことがあります。そこでは、一部の工場には、自衛隊に対して製造、納品する工場がありました。一般的な工場の入門と違って、そこでの工場の入門は別にチェックされる状況であります。今でも四十二万件という情報が秘密事にされているというのが現状であります。
内閣官房関係で、三十一万八千件、外務省の関係で一万八千件、警察関係で一万二千件、公安関係で一万二千件、防衛関係で三万七千件、約四十二万件が今でも秘密とされています。これとは若干違う筋かも分かりませんが、長野市の市民会館、庁舎の建設関係の中で、部長会議が行われ、部長がどういう発言をしたかという議事録を市民の皆さんが情報公開条例に基づいて請求をしたら、部長さんの発言が真っ黒に黒塗りされて市民に提供された、こういうこともあるわけであります。正に長が秘密とするならば、あらゆるものが秘密にされ、そして何が何だか分からないまま逮捕されるという状況にもなるのではないでしょうか。
自衛隊の中には、陸上自衛隊秘密情報部隊という別班があるということも報道されました。首相も存在を知らないこの別班は、身分を隠して海外でスパイ活動をしているという、元幕僚長の役員の皆さんがこういう発言している状況もあります。そして、この情報を漏らしたり、そして話し合ったり、そういう追及をするということの中でも罰則があり、国会議員が五年以内、そして公務員が十年、民間も対象になるという、こういう状況も言われています。
今日の長野市民新聞のこだまの中で、政権のたくらみとして、内山二郎さんが投稿されています。特定秘密保護法が成立した。政権与党の暴挙に私の怒りは収まらない。参議院での強行採決の夜、私は国会正門前で、希代の悪法撤廃を訴えるデモの隊列の中にいた。夜の中にいたということであります。そして、もうだまされまい。為政者が思いのままに特定秘密を決め、国民の目や耳や口を塞ぎ、戦争への道を歩んだ歴史の教訓を忘れてはならない。そして、多くの皆さんが反対していることの中で、この法案の不当性を訴えた。こうした異議申立てに対して政権与党は耳を傾けようとしなかった。あろうことか、石破幹事長は、反対を叫ぶデモはテロ行為とその本質において変わりないと公言し、いみじくもこの法律が意図する危険性をさらけ出した、こう述べています。
そして、長野県弁護士会の会長の諏訪さんは、この特定秘密保護法案に対して何回となく反対の声明を出しました。今度は、特定秘密の保護に関する法律の成立に強く抗議し、同法の廃止と憲法改悪阻止のための幅広い行動を呼びかける会長声明を出しました。
この中では、当会は、これまで、一、国民の知る権利を侵害されること。二、国民の知る権利を支える報道、取材の自由を侵害すること。三、特定秘密の範囲が広範かつ不明確であり、政府の恣意的な運用が可能となっていること。四、特定秘密を判断する実効性のある第三者機関が設けられていないこと。五、処罰規定が広範、過剰、不明確であり、刑罰法規の明確性を求める罪刑法定主義に反すること。六、適性評価制度が対象のプライバシーを過度に侵害したり、思想信条に踏み込んだ調査がなされる危険性のあること。七、国会の立法権をも侵害すること等、同法案の問題性を指摘してきたと言って、多くの市民の皆さんに呼び掛けています。
特定秘密保護法案は、国民の主権、基本的人権、平和主義という日本国憲法の基本原則をことごとくじゅうりんする違憲立法であり、撤廃すべきものです。歴史を取り戻すことはできませんが、歴史の教訓を真摯に受け止めて、平和への道、日本国憲法を広げていくことが必要ではないでしょうか。
私のおやじは、明治四十三年の生まれで、海軍に召集され、戦艦で戦地に行く途中にけがをして戻ってきました。おやじが最後に言ったのは、人を殺さなくて済んだ、良かった、こういう思いでおやじは言いました。
私たちは、あの戦争で三百十万人、二千万人のアジアの人々の犠牲があり、今でも苦しんでいる皆さんがいます。毎年毎年八月六日、九日、広島、長崎の原爆忌、八月十五日の終戦記念日、二度と再び戦争をしてはならない、戦争を繰り返さない、核兵器を使わない、こう誓っていたと思います。戦争へ向かうような道の法案を一つ一つ潰していくことが、私たちに課せられた責任ではないでしょうか。
最後に、全議員の皆さんに私のこの言葉を是非聴いていただき、委員長報告に反対をお願いし、討論とします。
ありがとうございました。