2011年12月定例市議会 野々村ひろみ議員
故伊藤將視市議会議員 追悼の言葉
○議長(祢津栄喜君)
この際、故伊藤將視議員に対し、議会として弔詞を贈呈し、御冥福をお祈りいたしたいと思います。
なお、弔詞の文面につきましては、議会運営委員会において協議したものであります。
議長より弔詞を朗読いたします。
弔詞
長野市議会は、本市議会議員として本市の活性化と市民生活の向上に対する並々ならぬ熱意にあふれ、議員活動をされた伊藤將視議員の御逝去に対し、謹んで哀悼の意を表し、弔詞をささげます。
平成23年11月30日、長野市議会
ただ今、御遺族の方がおいででございますので、弔詞を贈呈いたします。
(弔詞贈呈)
○議長(祢津栄喜君)
この際、弔意を表すため、野々村博美議員から発言を求められておりますので、これを許可いたします。
◆野々村博美
38番、野々村博美でございます。故伊藤將視市議会議員に追悼の言葉をささげます。
伊藤將視長野市議会議員は、9月18日投票で行われた市議会議員選挙で
事件は、伊藤將視さんとは関係ないものでしたが、優しく誠実であっただけに心労と苦悩は限界を超え、病魔が襲い帰らぬ人となりました。前途ある有望な議員の命を守ることができなかったこと、痛恨の極みです。
伊藤將視さんは1970年、松代に生まれ、県農業大学校を卒業後、県職員となりました。冷害に苦しむ農民の苦難を解決する若い技術者を描いた宮沢賢治の童話グスコーブドリの伝記に感動して、農業改良普及員となりました。当時、農業大学校で伊藤將視さんを指導された恩師の方は、大変優秀な青年であったと述懐されておられました。
職場で、汗は住民のためにの思いで自治体労働者として頑張る日本共産党員に感銘を受けて入党し、職場の民主化と働く者の権利を守るために勇気を持って立ち向かっていました。職場の仲間が自ら命を絶つ事態に直面し、サービス残業の撲滅や行財政改革プランに基づく人員削減に抗して戦いました。労働組合役員選挙の際、上司から共産党を離党するようにと働き掛けられたときも、自ら人生の問題としてき然と拒否し、職場の仲間の信頼を得て県職労本部中央執行委員まで務めました。
農業を取り巻く情勢の悪化の中で、政治的打開の他に道はないと決意をし市議選に挑戦しました。4月1日から5か月半、全力疾走で大激戦を勝ち抜きました。この間、大震災と原発災害に苦しむ福島県にも行き、2度とこんな事故がないように長野県でも頑張っての声援を受け、
当選直後から、地域の皆様の切実な御要望実現に向けて活動していました。信州新町の小規模水道を守るために、急しゅんな山中まで出掛けて水道水源の調査を行い、松代斎場の建て替え問題では、担当課の職員から熱心に状況の説明を求めていました。
屋代線廃止問題では、ディーゼル化して鉄路として残すことはできないのかという地元松代の皆様の要望を実現したいと、専門家を招いて学習するなど、わずかな期間でしたが精一杯皆様の御期待にお応えしたいと奮闘していました。
伊藤將視さんは41年の生涯、候補者として市議として、そして良き父として、夫として、親孝行な子供として、家族を大切にしながら社会進歩の事業にも大きく貢献したことは間違いありません。
私たちは、故人の意思を継いで全力で奮闘していくことをお約束し、御冥福を心から祈り、追悼の言葉といたします。
○議長(祢津栄喜君)
次に、御遺族から御挨拶があります。
◎御遺族(伊藤邦広君)
私は將視の父親、伊藤邦広でございます。ここにおりますのは、妻の智恵美でございます。
私から一言御礼の御挨拶をさせていただきます。
12月市議会定例会の冒頭に貴重な時間を割いていただきまして、追悼の儀を行っていただきましたこと、まずもって厚く御礼を申し上げる次第でございます。
將視は11月5日、急逝をいたしました。6日に自宅にて仮通夜、7日は南安楽院にて本通夜、13日、中央安楽院での葬儀、告別式を執り行いました。通夜並びに葬儀、告別式には、市長、副市長並びに関係部署職員の皆様、教育委員会や選挙管理委員会など関係部局の皆様を初め、長野市議会議長、各会派議員の皆様、市議会事務局の皆様には大変お忙しい中にもかかわらず御会葬をいただき、誠に有り難く厚く御礼を申し上げる次第でございます。
また、その際、皆様には御香典、御供物、お花など過分な御芳志を賜り、誠にありがとうございました。おかげさまをもちまして滞りなく葬儀、告別式を済ませることができました。誠にありがとうございました。
將視は、当選直後から地域の皆様の様々な要望実現のために頑張っておりました。政治の大本を変えるTPP、原発と放射能のない日本、自然エネルギーのまち長野市、長野電鉄の鉄路を生かした地域社会への実現へ専門家を招いての学習会や、松代斎場建て替え問題では、地元の皆様から御要望を聴かせていただくなど、皆様の期待に応えて精一杯活動をしておりました。そんな矢先の出来事であり、本当に無念であります。どうか許してやっていただき、冥福を祈ってやってください。
本日は、祢津議長から御丁重な弔辞を頂き、また野々村議員からは追悼のお言葉を頂きまして、誠にありがとうございました。
私どもは、これからも故人の遺志を受け継ぎ頑張る決意でございます。生前何かとお世話になりました皆様に、伊藤將視に成り代わり、お寄せいただきました御厚ぎに対し、深謝申し上げますとともに、残された私どもに対し、今後とも変わらぬ御親交のほどをお願い申し上げます。
寒さに向かう折から、皆様には御自愛いただき、どうぞ良いお年をお迎えいただきますようお祈り申し上げまして、御礼の御挨拶とさせていただきます。誠にありがとうございました。